元プロレスラーアントニオ猪木氏死去のニュースがありました。「全身性アミロイドーシス」という闘病中とのことでしたが、さる8月の日本テレビ系列「24時間テレビ」にも手術後の痩せ衰えた姿でインタービュー生出演。最後まで難病と闘い、不屈の闘志を見せていました。
このニュースは世界中で報道されました。以下の英文はイギリスのMail Onlineの見出しからの引用です。アントニオ猪木という人がどんな人かということが簡潔に述べられています。
Japanese wrestling legend-turned-politician Antonio Inoki has died aged 79.
日本の伝説のレスラーから政治家に転身したアントニオ猪木が79歳で亡くなった
事実を見聞きしていれば、和訳無しでもだいたい理解できる文だと思います。
□ 〜 turned XXX :「〜からXXXに転身した」
□ aged ○○:○○歳で
Inoki founded New Japan Pro Wrestling in 1972 and fought Muhammad Ali.
猪木は新日本プロレスを1972年に設立し、モハメド・アリと戦いました。
□ found:設立する findの過去形のfoundと間違えないように!
□ fought:fight の過去形
He was elected to the Japanese House of Councillors in 1989.
彼は1989年に日本の参議院に当選しました。
□ elect:選ぶ be elected 選ばれる・選挙で当選する
□ House of Councillors:参議院
国会議員・猪木の活躍
政治家としてのアントニオ猪木の活躍は、最近ではもう忘れられているかもしれませんね。1989年のイラクのクエート侵攻の際、イラク滞在中の約200人の日本人が人質に取られるという大きな事件がありました。国会議員も全く手が出せない中、単身でイラクに乗り込み、サダム・フセイン大統領に会って、人質の一部開放を勝ち取ったのが猪木参議院議員でした。
その後、元総理の中曽根康弘氏など何人かがイラクを訪れて人質解放の交渉を行いましたが、明らかに猪木議員の行動を見て「イラクに行っても殺されないな」と分かった後での行動であり、その意味で一番乗りを果たした猪木議員の勇気は称えられるべきものだったと思います。
過小評価されがちな猪木氏の政治家時代のこのエピソードをYouTubeチャンネルのOwen WrestleNews365では、以下のように伝えていました。
He serves two terms in the house of councilors he was first elected in 1989.
During that term he notably traveled to Iraq where he met with Saddam Hussein and successfully negotiated the release of a group of Japanese hostages.
猪木は1989年に初当選し、参議院議員を2期務めました。この間、イラクに渡り、サダム・フセインと会談し、日本人人質解放の交渉に成功したことは特筆に値します。
さて、このコラムの英語は基本的にざくっと説明なので、とりあえずこの程度に収めておきたいと思うます。プロレス好きの人だとちょっと物足りないでしょうが、またいずれ機会を見て、続編を追加するかもしれません。
下のYouTube映像はアントニオ猪木氏が日本人としては初めてアメリカのWWEの殿堂(Hall of Fame)入りした時のものです。(おそらくWWE側の設定のためか、スマートフォンでは表示されないので、リンクよりYouTubeチャンネルでご覧下さい)